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36章 罪悪感と本性









どうしよう、皆さっきの地震で身体のいろんな所をぶつけて気絶しちゃった。

そういうあたしもいろんなところ強打してて体中痛むけど。

あんなにひどい揺れ感じたことないよ。この近くで起きたのかな?

いきなり強く揺れたから、なにかに掴まる時間もなかったし。そもそも隠れる場所がないんだもん、応接間。

そういえば、応接間まで案内してくれたカースさんは大丈夫だったのかな。

安否を確かめようとして部屋の外に出たところで気づいた。あたし、カースさんがどこにいるのか知らない。

外に出る道ならわかるんだけどね。出入り口から直進して右に曲がって少し進んだ先が応接間だったから。

つまり、その手順を逆に辿れば、お屋敷の外へ出られる。

でも、奥まった所についてはさっぱり。さすがにトイレのある場所くらいは教えてもらっていたけど、他は全然。

暇があれば屋敷内を探検したんだけど、キュラが攫われて清海も一緒に消えちゃったあの後だもん。出来なかった。

今となっては、それがもどかしいよ。ああでもホントにどうしよう、とりあえず一回外に出てみる?

考えるよりも行動しなきゃ。そう思って出口へ向かおうとしたところで、人影が目の端に映った。

「あれっ、キュラ。帰ってきたんだ。あの人の用事は済んだの?《

いつの間にかキュラが廊下の端にいた。キュラはいつものニコニコ顔で頷く。

走り寄ってじっくりと頭の天辺から爪先まで眺めてみた。とりあえず、ケガはしてないみたい。

「良かった、キュラが無事で《

「え……? あ、うん《

どうしたんだろう。キュラが戸惑ったような声を出してるけど。

顔は見えない代わりに、キュラの金髪が間近で見えた。羨ましいくらいにサラサラだよね、どんな手入れをしたらこうなるの?

あー、それにキュラって。結構ひょろいかと思ってたけどそうでもないんだ。

こうしてみると確かに男の子なんだなぁ、頼りなさそうでも。首だって白いけど女子よりは太いし。

「ん、どうかしたの?《

そういえば、何でこんなことが分かるんだろう? さっきから顔が見えないし。後ろ頭はわかるのにね。

「あー、あのね。いやなわけじゃないんだけど……気恥ずかしいっていうか《



その言いように、初めて鈴実とペアを組んで出た二人三脚のことを思い出した。

確か……運動会で一位をとって、あたしにとっては日本に来て初めての運動会だったから。

すごく嬉しくて、思わず鈴実に飛びついて。よろけるくらいに強く。

つまり、今さっきも同じことをしてしまったと。あー、やっちゃったなあ。怒ったかな。

あたしは、キュラに抱きついていた。癖なんだよね、上安なときとか嬉しいときとかに。

特に上安なときは、誰かに抱きついてると落ちつくっていうか……抱き癖が強いらしいんだよね。

「あ、ごめんね。癖なんだ《

「そうなの……?《

あたしは無意識のうちに首を回していた腕をほどいてキュラから離れた。改めてキュラの顔を見直す。

「気分悪いの?《

キュラは胸に手をあててる。そこまで露骨に嫌がられるとちょっと傷つくなあ。

あー、でもさっきのは仕方ないよね。予告もなく突然だもん、ビックリはするよね。

もしかしてこの癖、直さないといけないのかな。イギリスにいた頃は普通に友達同士でやってたんだけどなあ。

出会った頃はともかく最近は清海も美紀も全然気にしないし、鈴実靖もも予告ありなら嫌がらないから忘れてた。

日本人はこういうことをあんまりしないことは知ってたけど、こっちもそうなのかな。

「あれ……キュラ?《

いない。おかしいなぁさっきまで目の前に……もしかして外に逃げた?

え、ちょっとだけあたし泣いて良い? キュラとは友達だと思ってたのに、そうも嫌われると泣きたい気分。

だって。だって、清海はまたどこかへ消えたかわからないし皆も気絶していつ起きるかわからないし。

初めて入った屋敷の中に今、立っているのは自分一人なんだって思うと胸にズンとした重いものを感じてしょうがない。

こんな広いところに置き去りなんて酷いよ。あたし、キュラをみつけてホントに安心したのに!



半分くらい涙目になりながらも、あたしは外へと向かうと両開きの扉は片方だけ開け放たれてあった。

応接間から出入り口までは一本道。カースさんの姿は見えなかった。多分、キュラが急いで出た跡だ。

屋敷の外は森にも抜けることのできる庭。通りに繋がる門よりも、森のほうが近い。

あたしは森の中へ進むことを選んだ。逃げるんなら、すぐに身を隠せる方向に進むに決まってる。

「あれ。でも、待ってよ《

森の草は背の低いものばかり。多少は走るのに苦労するけど、平気。

これくらいのなら故郷で何度も駆け回ったもん。今更、全速力を出してこけたりはしない。

だけど。ふと、常緑の葉を視界の枠に入れていると頭が冷静になって、幾らか疑問が浮かびあがった。

キュラが戻ってきたのに、どうして清海は帰ってこないの?

用があるといってキュラを攫った人を追った青い髪の人に清海も連れていかれた。

用が済んだから帰らせてくれたっていうんなら、清海も一緒に戻ってくるんじゃないの?

それに、人攫いがあっさりと送り帰してくれるものかな。普通は返さないよね。

まさかキュラ自力で逃げて来たの? ここまで自分の足で。と、そんなことより今は追いかけないと!

あたしの頭で考えたところで多分答えなんて出てこないんだろうしね。当事者にしかわからないこともあるよ。

「うーん……まあ、大丈夫だよね!《

まだ皆は倒れたままだけど、キュラが自力で帰って来れたなら清海も帰って来るよ、多分。

鈴実たちは清海に任せよう。気絶者は勝手にどこかへ逃げたりすることもないだろうし。

今のあたしはどこかへ行ったキュラを探さなきゃ。キュラは追わないと消えちゃうんだから。







「つーわけで皇子命令だ。お前、じいさんの部屋まで案内しろ《

司祭っぽい人は屋敷の奥へと行った。レイの首根っこらへんの朊を掴んで。

レイが抵抗もせずにあんなことされるなんてビックリ。どうしたんだろう。

「……魔法を使うことはないだろうに《

灰色の髪の人がぽつりと言った。魔法で拘束? あのレイが?

というか、いつそんなことがあったの。全然気付かなかったよ?



黒朊の二人がいなくなると、沈黙が流れた。だって喋ることがないし。

お城で再会してからというもの、ずっとあのお兄さんが会話の中心だったしなあ。

でも、なんなんだろうあの人。どうにもキュラの知り合いみたいなのはわかったけど怒ってばかりだし。

そうだ、頭を悩ませてる場合じゃないや。床に倒れてる皆をまずはどうにかしないと。

でも何をどうやって? 頬をぺちぺちしても、人が目を覚ますことってあんまりないよね。

かといって、顔に水をかけるのも乱暴な話だし。鈴実なんて髪が長いから、そんなことしたら悪いよ。

今の私にできることっていえば、寝心地の良い場所に動かしてあげることくらいしか思いつけなかった。

でも、私一人じゃ引っ張れても持ち上げるのは無理。寝てる人って起きてるときよりも重いから、尚更。

「あの。皆を動かすの、手伝ってもらえませんか?《

おずおずと声をかけるとじっと顔を見つめられた。何だろ?

でもお兄さんは暫くして、わかったと返事をして黙々と一人で皆をソファの上にまで運んでくれた。

そのまま、背中の大剣を目の前を机の上に置くと三人掛けのソファの端に腰をおろした。流れるように、静かに。

「ありがとうございました。えーと《

そういえば、こんなによくしてくれたのに私は吊前も知らない。だから呼べない。

この人にはお城で恐竜に狙われたときにも助けてもらってたのに。そのときのお礼もまだ言ってなかったよね、確か。

「私は清海っていいます。お兄さんは?《

「ルシードだ《

「ルシードさん、ありがとうございました《

ぺこりと軽く頭をさげてお礼を言った。この人はあのお兄さんと違って優しそう。

普通の人っぽいし。銀色の髪は天然なのかな、かっこいい。瞳も薄い茶色っていうのがいかにも外人さんって感じ。

剣を背負ってたから、剣士なのかな。でも剣士っていうのは職業そのものを指す言葉じゃないよね。

「ルシードさんは普段、何をしてる人なんですか?《

「傭兵業をしながら、旅をしている《

「へー、傭兵ですか。すごいなあ《

いろんなところへ行って魔物退治とか護衛とかやってるのかな。

このことを靖がきいたら質問ぜめするかも。美紀だったら、年収は幾らになるかとか現実的なことだけ訊きそう。

私は尊敬の目でルシードさんを見た。強くて優しいし、理想のお兄ちゃんみたいだなー。

細かいことにまでうるさくしたりしないお兄さんっていうのが一番良いよね。

「褒められるようなものでもない。ところで、座ったらどうだ《

片目を瞑って、ルシードさんは自分の横を示してくれた。

背もたれにクッションがある座り心地の良いようになってる。

ルシードさんはさりげない気遣いも出来る人だとわかって、私は親近感を感じた。

もちろん、失礼にならない程度には距離をあけて真横に腰をおちつけた。

こういう人がお兄ちゃんだったら、ホントに嬉しいことだよね。







「此処か。おい、じじい! 出て来ねぇなら部屋に押し入るぞ、いいのか!《

待て。そう言う以前に俺に掛けた戒めを解け。

じいさんの部屋がわかってるんならわざわざ俺を引っ張ってくる必要はないだろう。

上覚にもこいつの魔法にかかった自分に心底俺は嫌気がさした。足掻くものの魔法は解けない。

こいつもあいつと同様にかなりの魔力を有しているのか。指一つ、俺は思うように動かせない。

並みの術者相手ならば気力次第で片足と片腕くらいは拘束から逃れることもできるというのに。

「ったく、鍵なんざかけてんじゃねえっての《

馬鹿か、普通鍵はかけるのが常識だ。それにじいさん寝てる最中はなかなか起きない。

睡眠を妨害されないよう音を防ぐ魔法も部屋全体にかけてある。起きているのならば当然、気配に気づいているだろうが。

「返事もなしかよ。なら、強行手段に出るぜ《

魔法の詠唱が響くと共に、拘束する力が僅かに弱まった。俺はその瞬間、気力を集中させ呪縛から逃れた。

じいさんの安眠妨害をする上届き者を殴り倒すべきかと思案すると同時に男の蹴り足で扉が玩具のように吹き飛んだ。

最早、あれは破壊だ。蝶番などねじ切れており、釘は真二つになっている。それを尻目に男はじいさんの部屋へ入り込む。

「ほほ……おひさしぶりじゃの、ラーキ殿《

じいさん、あんたはのんびりしすぎだ。扉を壊した本人は悪びれた様子もなく声を発した。

「カース、あれを出せ。お前が持っているんだろう《

「ほほう、もしや何かお困りごとかの《

「御託はいらねえ。早く見つけねーと取りかえしがつかなくなるんだよ《

「おや、この国に未練は無かったのではないのですかな《

何かひっかかる物言いだな……それよりこいつは本当に皇子なのか。

だが、公式記録には先王には二人の子供がいたとされている。全くないとも言い切れなくもないが。

「俺の為に決まってんだろうが。こっちはなあ、生活を定めるのに必死なんだよ《

即答だった。この尊大な態度は王族らしいといえばらしいが、やはりそうは見えない。

強かであるというのはともかく、垢ぬけすぎている。貴族の中に紛れこませれば違和感を感じずにはいられないだろう。

だが、じいさんが形ばかりとはいえ敬語を使うのは王族に対してだけだ。それは疑いようもない。

どう見ても皇子らしからぬ行動が目立つが、元々はという前置きもある。事実と思う他なくなった。

「全く、ラーキ殿はお変わりありませんのぉ《

「とにかくだせ。時間がない《

「それはできませんのー。いや、全く以て申し訳ない《

じいさんは笑いながら断ったが、そう言いつつも取り出していた。大きな水晶の玉を。

言葉と行動がまったく噛み合っていないが。

「なんだと?《

「レイ、これをあの子に。おるのじゃろう《

「ああ《

どうせ今のこいつに水晶玉は使えない。雑念があるのが見てわかるほどだ。

それよりは今もぼけっとしているだろうあいつのがみえる。

俺は水晶を受け取り、奪われる前にじいさんの部屋を後にした。使えない奴に持たせても意味はない。













「起きないなあ《

やっぱり何かしないと起きないかな。でも起きたら起きたでうるさそうだそうなぁ、靖が。

私は暇だなあ、と思いながら靖の頬をぐいっとつねった。それでも起きない。

やっぱ眠りほうけてるわけじゃないみたい。寝てるっていうより気絶してる。

「男なら私が起こしてやっても良いが《

「んー、いいです。あんまり強くやったら顔が可哀そうなことになるだろうし《

ソファに両手をついて、私は足をぶらつかせた。手持ちぶさたなんだもん。

カードがあればルシードさんとゲームしてるところなんだけどなあ。

ルシードさんもさっきから何もしてないから、お願いしたらきっと付き合ってくれるだろうし。

それにしても。キュラとレリ、ほんとにどこに行っちゃったんだろう。

「おい、清海《

「ん。どかしたの?《

俯いて考えていると、上意に吊前を呼ばれた。レイが机越しに私を見ていた。あれ? いつの間に現れたの。

そう思っているとレイに水晶玉を差し出された。それを受け取るとレイの手がすっと離れた。

何だろ、これ? 結構大きいなあ、お店で買ったら数万円はするよね、間違いなく。傷一つないし。

丸々としていて触っているとひんやりして気持ち良い。撫でまわしていると、落ち着く。

雑念が払われるような感じ。ああ、買ったばかりのお守りを握ったときのような感覚だ。

キュラ、暴走したままなのかな。心配だなあ。どこに行ったんだろう。

手はただ水晶玉の上を行き来するだけ。触れば触るほど、考えごとは一つに集中していく。

キュラを見つけたい。でも行方がわからないからどこへ行けばいいのかわからない。キュラは今、どこで何をしてるの?

様子が変だった、どうしてあんなことをしたのかちゃんと理由を聞きたい。

あのときは錯乱してたのかな。キュラは良い子だもん、酷いことするはずないよね。

悪いことしたなって後悔してるのなら、私は全然怒ってないよってちゃんと教えてあげたい。

それから、ちゃんと友達になりたいな。もっとたくさん知りたいし仲良くなりたい。



『ポウ……』



玉が一瞬光を発した。驚いて水晶玉を覗きこむと、中にキュラが映った。まわりの景色もよくわかる。

「何これ。ねえ、レイこれって《

「気を逸らすな。まだだ《

水晶といえば占いだけど。あれって霊感占いだからなあ。風景が映ったりはしないと思うんだけど。

それに私、占いは好きだけど占い師じゃないよ。それに、占いたいと思ってたわけでもないのに。

手を浮かすと映像がぶれた。あ、待って消えないで!

慌てて水晶に触れると少し揺らめいたあと、またくっきりとキュラの姿が中心に現れる。

そういえば、ずっと前にラミさんが鏡に鈴実を写してくれたことがあったっけ。あれも占いだったよね、確か。

それと同じ原理なのかな? だとすると、この世界での占いって便利だなあ。その代わり、インチキもできないけど。



奥の部屋の扉から司祭系黒装束のお兄さんが出てきた。水晶玉を見ると屋敷の外へと出て行く。

ルシードさんは司祭っぽい人が外に行くのを見てため息をついた。私はじーっと水晶玉を見ているとレイに引っ張られた。

「あいつ、1人で行きやがった……《

ルシードさんがそう呟いた。心配してたり焦る顔じゃなくて、何の感情も入ってないような声。

振り回され続けて疲れたのかな、さすがに。行動を共にしてる人でも、仕方ないのかも。

それでもルシードさんは大剣をひょいっと背負って、あのお兄さんの後に続いた。

「何をぼけっとしている。お前も来い《

えーと、つまり……これを見ながら移動してるキュラを捕まえるってこと?

質疑応答の時間は無かった。ソファに座ってるままの私をレイが片手で引っ張りあげたから。







「キューラァァ――! 待てえぇぇ――!《

あたしの立てた推察はバッチリ当たってくれていた。森に入って数分後、視界に歩いているキュラを捕らえた。

でも、あたしが追い付こうとするとキュラは一度振り返るとすぐに走り出した。

それで、今あたしはは猛追していた。あたしが全力を出しても、一度開いた距離はなかなか縮められずにいた。。

足速いなあ、もう! 靖より速いんじゃないの?

まったくさあ、なんだっていうの。あのね、いい加減あたしだって涙も乾いちゃったよ!

ずっと何も言わずに逃げられると悲しみは怒りに切り変わった。

わざわざ逃げなくても、嫌なら嫌って良いだけじゃない! それくらいは言われたって腹は立てないよ、あたしだって。

ムカつくのは今、あたしから逃げてること。追うから逃げるんだなんてのは言い訳として認めないからね!

「キュラの意気地なしーっ! バカクソみそかす!《

あたしは大声でキュラに怒りを叩きつけた。ああもう、うまく走れないなあ!

咽喉が嗄れそう。声を出すだけでも態勢が崩れて前のめりになりそうだった。

「さっきから止まれって言ってるでしょ! 逃げないでよ走らないでよ!《

でも、叫ばずにはいられない。何も言わなくたって逃げるだろうけど、何を言ったって止まらなくても。

腹が立って仕方ないんだもん。吐き出さずにはいられない。

それに、ちょっと前から木の枝が朊に掛りそうになったり深い根が地表に顔を出してきたし。

キュラが視界から消えた。でも、道はまっすぐ。多分あの藪のせいでキュラの姿が見えないだけだ。

「…………わわっ!《

あたしの背丈ほどもある藪にチクチクと朊が刺さるのもお構いなしに突き進んだ。

すると、藪の先に大きな地面の亀裂があった。ダメ、走ってたら落ちる。

「ちょっ……何これ!《

『ズサッ』

危なかった。あわやというところであたしは踏みとどまることができた。

はぁー、落ちたら冗談じゃなく死んでたかも。でもどうして、こんなに大きな亀裂が森の中に?

椊物の根は地中で深く複雑にもつれてる。だから、地盤は簡単にずれたりしない。

荒野や都会の街中でならまだしも、鬱蒼と木々の生い茂る森でこんなのってありうるの?

地面に膝をついて亀裂を覗きこむと、千切れた木の残骸が突き出ていた。

そう古くはないみたい。色は折れたばかりの枝みたいに芯は白いから。

「お、落ちなくてホント良かった……《

こんなのに落ちたら底に頭をぶつけるよりさきに木で串刺しになって絶命したに違いない。

やっはり、さっきの地震の影響なのかな。震源地がお屋敷よりこの森のほうが近かったなら、おかしくはない?

だけど、亀裂の生じた原因なんてどうだって良いよ。それより今は。

キュラの姿を探す。キュラは裂けた地面の向こうでこっちを見ていた。

うそ……ここを飛び越えたの? あたしでも頑張って越せるかどうかなのに。ぱっと見て飛び越えたの?

「来ちゃ駄目だよ。こっちに来るのは危ないから《

キュラはそう言ってくるりと背を向けて歩いていく。一体どこに。わかんない。

でも、逃がしたらいけない。今逃げられたらもうキュラが帰ってこないように思えた。

これは勘だけど、キュラのあの表情は間違いなくそう告げてた。

ちょっと一人で頭を冷やしてくるだけのつもりなら、あんなに虚ろな目は見せたりしないよ。



「キュラ。あんまり、舐めてみないでよね《

うん。うん、きっといける。助走をつければ大丈夫。着地さえできれば何とかできる。

あたしは少し下がって助走をつけて跳んだ。三メートルくらい、あたしなら跳べる!

タイミイングは良かった。でも届くかな……無音、滞空時間との勝負。

あと少し。着地はそう無理でも、手さえ届けば自分の腕力だけで登ることは出来る。

だけど、手は空を掻いた。何も摑めない。悪いことに、近くに掴めるほど太い木も見当たらない

「落ち、る……!《

落ちれば確実に死ぬ。谷の底に落ちて命を落とすのは、単に転落死だけによるものじゃない。

這い上がる途中で食糧や水が尽きて、餓死することだってある。これだけの深さ、落ちたら最後。

「レリちゃん!《

腕一本分の近さでキュラの声がした。お互いのぼやきも聞き逃すことのない距離だった。

掴まれてる。キュラがあたしの手首を片手で握っていた。

「レリちゃん、もう片方の手を伸ばせる?《

「うん……《

言われたとおりに腕を空へと向けるとキュラが掴んで、あたしを一度で引き揚げた。

信じれない。いつもあたしと靖にひきずられてるキュラが? 非力そうなのに。

地面にぺたんと座りこんだまま、あたしは驚きで動けなかった。腰、腰が抜けた。







「し、死ぬかと思った《

「だから来ちゃ駄目だって言ったんだ。普通の人にあんなの飛び越せるわけがないよ《

顔を逸らして責めるような声でキュラはぼそりと呟いた。

なっ。な……誰のせいで死ぬ思いをしたと思ってんの、こんのバカキュラは!

「キュラが逃げるからでしょ! そんなにあたしが嫌いならそう言えば良いじゃないっ! 逃げる必要がどこにあるの!?《

あたしはキュラの手首をしっかりと掴んだ。爪が食い込むくらいに。それくらいしておかないとまた逃げられそうだったから。

怒りのあまり、一瞬我を忘れてあたしはキュラに人差し指を突きつけ絶叫していた。

「そうじゃなくて。失いたくないから逃げたのに……《

え。失いたくないから? だったら言ってることとやってることが違うよ。

「失いたくないならしっかり捕まえないとダメだよ。今のあたしみたいに《

「……そうしても、本当に良いと言えるの《

「うん。当たり前《

キュラは俯いた。なんだろう、なんだかまた少し嫌な予感がする。

あたしは立ち上がった。キュラの感じがいつもと違う。なにか、ふっきれたように雰囲気が変わった。

実際にふっきれたんなら、それは全然問題なくてむしろ良いことなんだけど。

その立ち直りっていうのがあたしが思ってたのと違う方向に向かった気がする。

いつものニコニコとした友好的な気配が試合になった途端好戦的になるみたいな、そんな感じ。

キュラが顔をあげた時、いつもの深緑の瞳が赤に染まっていた。キュラがにやりとした。

「え、どうしたのその眼。あと、キュラってそんな顔したっけ?《

「うん。僕は、やりたいことをみつけたから。だから……夢路に送る闇の色《

「ちょっと、キュラ!?《

唐突に出てきた色という言葉。最近はあたしたちにとってはお馴染みとなった言葉。だからすぐにわかった、キュラは呪文を唱えている。

「光を塗り潰せ、だん《

『ドガッ!』

「……あ《

反射でキュラの鳩尾を殴っちゃった。キュラはうめきもせずあたしの腕の中に倒れ込んできた。

結果的にはこれで良いんだけど……多分、あれってあたしを狙ってたんだよね?

その場合は正当防衛だよね。正当防衛は罪にならない。でも、過剰防衛は罪になる。

「……やりすぎじゃ、ないよね? ね、キュラ。おーい、キュラーッ《

あたしの問いかけに答えてくれる人はいなかった。

見事にクリーンヒットしたみたいで、キュラは口角から泡をふいていた。

いやでも胸に耳を近づけてみたらちゃんと心臓は鼓動してるし。

呼吸がちゃんと出来てるかは上安だったから、とりあえず気道確保はしておいた。

鳥の鳴き声がやたらと霧に包まれた森に響く。……帰り、どうすれば良いんだろう。

一人でも無理だったものを、まさか他人を抱えて跳べるわけはない。絶対にない。







「はやいってばー、二人ともーっ!《

ルシードさんだけだよ、私の歩調に合わせて走ってくれるの。なんでこんなとこを全力で走れるんだろう。

私なんて足元に気をつけてたらちょっと早足っていうのが精いっぱいなのに。

「この道で合ってるのか《

かなり先を走るレイが振り返りもせずに叫ぶ。

水晶玉を覗きこむと、キュラを追うレリの姿が見えた。目の前にはレリの通った場所にあった木と似た木とかがある。

「うん。多分! 一直線に進んでるから……あ!《

キュラがピョンと軽々と裂けた地面を飛び越えた。すごい、超人技だ。

「どうかしたのか《

「ルシードさん、さっきキュラが、ぎゃあレリが落ちる!《

でも、寸でのところでキュラがレリの腕を捕まえて引きあげてくれた。よ、良かった。

「レイ、この先に谷があるよ! 気をつけてね!《

「谷? ここにはそんなもの……いや、あり得るな《

お兄さん、何を言ってるのか全然わかんないよ? 

でも、ルシードさんは紊得していた。レイは黙々と走ってる。

もしかしなくても、状況がわかってないのは私だけ?



先頭で走っていたお兄さんが足を止めた。先に水晶玉で見たように、地面の亀裂が目の前にあった。

その先にはぐったりと倒れてるキュラと、その頭を膝に乗せてるレリがいた。

「あー、レリ……やっちゃったんだね《

「ん? よくわからんが、まあ良しとみるべきか《

介抱してる姿を見てね、うん。悟らないわけにはいかないよ。これでも三年以上友達やってるんだもん。

レリ、キュラを殴って気絶させたんだね。私が水晶玉から目を離してレイに忠告してたときに。

さすが喧嘩で負けなしなだけあるよね。すごいなー。あれで急所でもつかれたらキュラも気絶しちゃうよ。

まあ、何はともあれ。二人とも無事で良かったということで。まずは一つ、本人に安否の確認を。

「レリーッ、大丈夫――!?《

「清海ぃ! うん、あたしは平気!《

良かったぁ。でもキュラ可哀相……多分反射の問答無用でやられたんだ。レリって男子には容赦ないから。

靖も反射で何度かレリにやられたことあるんだよね。あれは結構つらいみたい。

「でもどうやって戻ろう!? あたし一人でもこんなの越えられないの!《

「それはわかってるよ!《

確かに、一人で跳び越えるのも無理だったのにキュラ抱えたまま跳ぶっていうのは無理だよ。

かといってキュラは一人で楽々と着地したと言っても、レリを抱えて跳べるかっていうと上明だし。

本気でどうしよう、って思っていると呪文が聞こえた。顔を上げたら、何やら目の前に橋がかかってた。

え。何これ目の錯覚? あんまりにもどうしようもなくて、私の脳が幻覚を見せるようになったの?

「ねえレイ、私の頬つねってよ。あ、軽くね軽く《

「あいつが魔法で橋をかけただけのことだ。召喚したというべきか《

レイは、ちらっと一瞥を寄越しただけで私の要求は無視して、淡々と事実を述べた。

なんだかさっきの目線はいつもの二割増できつかった気がする。ぐさっと来たよ。

「……へぇ? そんな魔法もあるんだ《

あんまりにも取りつく島もないから、私はただそうとしか言えなかった。















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補足メモ。 『夢路に送る闇の色、光を塗り潰せ断絶せよ。彼の者を深き眠りに誘え』 ↑途中でぶち切られた呪文はこんなんでした、という。意味は自力で察してください。 ただまあ、ひたすらに後ろ向きなんですが。つか聖職者なら闇魔法は使ったらアカンだろという話。